32年間連載し続けた「男性自身」シリーズの記念すべき初回~212話までを完全収録。収録作品は、「週刊新潮」に連載がはじまった1963年12月2日号の第1話「鉄かぶと」から、1963年12月30日号の第212話「女」まで、単行本から漏れた話も含め、連載掲載順に212話を完全収録。付録として、電子全集の総監修を務める、山口瞳の長男・山口正介が回想録、「草臥山房通信」を寄稿。「庄助」名で、「男性自身」に度々登場した長男が、連載当時の山口家の様子や裏話、そして父への思いを綴る。また、盟友・柳原良平氏が描・・・
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山口瞳電子全集の最終巻。1993年~逝去する1995年8月までに書かれた47作品と未掲載3篇、座談・対談98篇を収録。
収録作品は、エッセイ「川端家での一日」から、第113回直木賞選評「思いが深ければ」まで、1993年から1995年に発表された47作品を初出掲載順に収録。
また、電子全集編纂作業中に発掘した貴重な作品3篇も収録。
1994年7月26日、兄事していた、作家・吉行淳之介が死去。「週刊新潮」8月25日号の男性自身で、7回連続で追悼の記を書いた。山口自身は前立腺の手術のため慶應病院に入院中で、7月28日の吉行の葬儀に出席できなかった。
1年後、山口瞳にも“最期”の時が訪れる。1995年8月29日、肺がんのため、聖ヨハネ会桜町病院ホスピス棟にて死去。満69歳だった。
山口が亡くなるまでの経緯は、同巻の付録として収録した長男・山口正介の手記『ぼくの父はこうして死んだ「男性自身外伝」』に詳しい。
また、最終巻の特別篇「対話集」として、1963年の「江分利満氏の優雅なお色気」から、1995年の「おいてますます楽しき馬券」まで、
野坂昭如、伊丹十三、大原麗子など、各界の有名、著名人との座談・対談を98篇(のべ77人)掲載。さらに、社内誌に1度だけ掲載された、幻のエッセイ「通り過ぎた人」を初めて収録。
付録として、電子全集の総監修を務める山口正介の回想録「草臥山房通信」(26)のほか、監修者・宮田昭宏制作した「山口瞳年譜」も掲載される。
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小説“絶筆”宣言後、エッセイ『行きつけの店』を始め、1989~1992年に書かれた69作品収録。
1989年~1992年の4年間、小説はなく、1963年から連載中のエッセイ「男性自身」は1989年11月20日初出の「還暦」から、
1994年1月20日初出の「大団円」まで、日記体形式で日々の身辺雑記を、多くの作家仲間との別れを、昭和から平成へと時が移ろう中、
淡々と綴っていくのであった。
特に、1990年5月3日、作家・池波正太郎が逝去する。敬愛する先輩作家の死に際し、千日谷の斎場で執り行われた告別式で、
山口瞳は弔辞「旅する人よ」を献じた。
ライフワークともなっていた『行きつけの店』も、1992年8月「サントリークオータリー」40号に収録された
「国立・谷保の文蔵のモツ焼キ」の回が全23回の最終話となる。
付録として、電子全集の総監修を務める、山口瞳の長男・山口正介が回想録「草臥山房通信」(23)を寄稿。
また特別付録として国立の山口邸「変奇館」内部を貴重な特別撮影写真で紹介する。
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小説“絶筆”宣言後、エッセイ『新東京百景』、『行きつけの店』を始め、1987~1988年に書かれた45作品収録。
収録作品は、エッセイ「続・不老こう」から、エッセイ 「剣豪作家と山下清」まで、1987年から1988年に発表された45作品を初出掲載順に収録。
1986年11月3日の誕生日に、山口瞳は満六十歳、還暦を迎え、これを期して絶筆を宣言するが、
連載と以前より約束してあった原稿(エッセイ、コラム等)は書き続けていた。
1986年より「小説新潮」に連載していた紀行文『新東京百景』は、10回「光が丘のインディアン・サマー」から、
最終回にあたる19回「日比谷映画街、大団円」まで収録。
完結後直ぐに、「サントリークォータリー」29号から、1986年に「リカーショップ」で連載していた『行きつけの店』の続篇が始まる。
山口瞳は、特に「行きつけの店」を大切にしていて、それは、「旅館、料亭、小料理屋、酒場、喫茶店などは文化そのものだと思っている。
そこで働く人たちも文化である、私自身は、そこを学校だと思い、修業の場だと思って育ってきた」(エッセイ「時の移ろい」より)という思いからであった。
今回は、特別付録として山口の妻・治子が山口の没後、その思い出を語った、入手困難なエッセイ『瞳さんと』全編を収録している。
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還暦を迎え、小説“絶筆”宣言をした1986年11月。画文紀行文『新東京百景』他、1985~1986年に書かれた64作品。
収録作品は、エッセイ「晩年」(1985年1月「別冊文藝春秋」170号)から、エッセイ『新東京百景』9「深川ロフト、浅草ROX」(1986年12月「小説新潮」)まで、1985年から1986年に発表された小説、エッセイ等64作品を初出掲載順に収録。
1986年(昭和61年)、11月3日の誕生日に、山口瞳は満60歳、還暦を迎えることになり、これを期して、絶筆を宣言するが、連載と以前より約束してあった原稿については、その限りでないとした。第23回巻に収録された小説も「庭の砂場」(1985年11月「オール讀物」)と「窮すれば」(1986年2月「小説新潮」)の2作の短篇小説と、「誰にでも青春があった」という編集部企画のために書いた中篇小説「-に-を掛けると」(1986年9月「オール讀物」)のみと大変少ない。
紀行エッセイのための旅行は、1983年から続いていた『温泉へ行こう』の連載が1985年の「呉越同舟、王泉閣の宴のあと」(「新潮45+」3月号)をもって完結し、代わりに、1986年「小説新潮」4月号から、画文紀行の『新東京百景』の連載をはじめる。その第1話は「新宿超高層ビル群の夜と昼」と題して、変わりゆく新宿の夜景を中野サンプラザからの夜景を見事に描いている。第23回巻では第9話までを収録。また、1986年よりサントリーPR誌「リカーショップ」で連載された『行きつけの店』11編も当巻末に収録した。
付録として、電子全集の総監修を務める、山口瞳の長男・山口正介が回想録「草臥山房通信」
(23)を寄稿。さらに山口瞳がサントリー勤務時代“編集長”として辣腕を振るったPR誌「洋酒天国」の巻末「編集後記」の資料もすべて見られるようにした。
EPUB68.7MB(校正データ時の数値)。
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『血族』の続篇、実父について綴った『家族』を始め、1983~1984年に書かれた小説、エッセイ等65作品収録。
収録作品は、エッセイ「正直貧乏」(「朝日新聞」ほか1983年1月15日 サントリー広告より)から、エッセイ『温泉へ行こう』16「奥鬼怒、露店風呂めぐり」(「新潮45+」1984年12月)まで、1983年から1984年に発表された小説、エッセイ等65作品を初出掲載順に収録。
1981年5月より雑誌「旅」誌上(途中から「小説新潮」)で連載開始された、全国27箇所(当時)の公営競馬場を巡る紀行文「草競馬流浪記」は、1983年11月の第21話「旅の終わりの帯広、岩見沢」にて完結した。また、1983年5月「新潮45+」で予告篇「西伊豆早春賦」を皮切りに、全国の湯治場を“山口組”が巡る温泉紀行文『温泉へ行こう』の連載が開始。1983年10月「回想の中房温泉」から、1985年4月「呉越同舟、汪泉閣の宴のあと」(山口瞳電子全集23に収録予定)まで、予告篇を含め全21回の旅となった。
そんな多忙な日々の中、1984年4月に3年ぶりの長篇小説『家族(ファミリー)』が、書き下ろし作品として刊行される。この作品は、その中で書かれているように、「『血族』という小説を書いた。そうしてそこから押しだされるようにして父のことを考えずにはいられない立場に追いこまれる」こととなった山口瞳が、『血族』(実母の半生について書かれた私小説)の続編として、書かなければならなくなった作品であった。
付録として、電子全集の総監修を務める、山口瞳の長男・山口正介が回想録「草臥山房通信」(22)を寄稿。 -
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全国27カ所ある公営競馬場(当時)を踏破した紀行文『草競馬流浪記』を始め、1981~1982年に書かれた108作品収録。
収録作品は、エッセイ「無惨なり!90番」(「オール讀物」1981年1月)から、エッセイ「草競馬流浪記 12―――名古屋土古の砂嵐」(「小説新潮」1982年12月)まで、1981年から1982年に発表された小説、エッセイ等108作品を初出掲載順に収録。
当時の山口瞳は、紀行作家とも言うほど旅続きの時期だった。1979年7月に始まった名コンビ・ドスト氏との『そ酔いどれ紀行』(連載7、8回目の「酒田、鶴岡、冬支度」、「横浜、一見英国紳士風」を当巻に収録)や、画文紀行「武蔵野写生帖」の連載も続いている。そのような時期に、「旅」(日本交通公社発行)1981年5月号から、全国27カ所にある公営競馬場(当時)を踏破する、『草競馬流浪記』という文字通り前人未到の連載紀行を開始する。
また、1982年5月号から始めた、「新潮45+」(新潮社発行)の将棋対局の自戦記「将棋おちこぼれ教室」は、「奈津ちゃんは成人式の巻」と「泰明君は名人候補の巻」の2つの自戦記を書いたあと、「われ敗れたり―――将棋界引退の弁」を書き、体調の都合によって、この企画を突然、中止してしまう。
この2年間に発表された小説は短篇ばかりの7篇。1983年に発表される書き下ろし小説『家族』(『血族』の続篇ともいえる作品)の構造を練っていたのかもしれない。
付録として、電子全集の総監修を務める、山口瞳の長男・山口正介が回想録「草臥山房通信」(21)を寄稿。 -
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後に映画化され大いに話題を集めた小説『兆治』を始めとして、1979年10月~1980年までに書かれた43作品収録。
収録作品は、小説『兆治』(「波」1979年10月~1980年11月。単行本化の際に『居酒屋兆治』と改題)から、エッセイ「武蔵野写生帖9 回想の目白界隈」(「芸術新潮」1980年12月)まで、1979年10月から1980年までに発表された小説、エッセイ等43作品を初出掲載順に収録。
『居酒屋兆治』は、連作的長篇小説として「波」に連載されたときには、単に『兆治』という題であった。この、素っ気ない題名に、山本周五郎の時代小説の世界、たとえば、「さぶ」の世界を、現代に舞台を変えて書こうという山口瞳の意気を感じないわけにはいかない。愚直なまでに、損な道を進んでしまう不器用な兆治と、なにをしても不幸を呼び込んでしまうさよ、兆治に陰険な仕打ちをしたがる上司など、舞台を江戸時代の下町に変えると、このまま、山本周五郎の時代小説の世界になるのである。『兆治』を原作として、昭和の大スター・高倉健が主演した映画『居酒屋兆治』が、1983年に公開される。この映画では、舞台は北海道の函館に変えられ、それに伴って、兆治が辞めた会社が造船会社、さよが働いていたキャバレーがある旭町が、ススキノに変わっていた。
画文の紀行文『武蔵野写生帖』は、美術専門誌の「芸術新潮」(新潮社発行)に連載された。いつもの旅で相棒であったドスト氏の同行はなく、これまでの、絵と会話を楽しむ旅行とは違った印象の画文紀行文で、20巻、21巻の2巻に分けて全編を収録する。
付録として、電子全集の総監修を務める、山口瞳の長男・山口正介が回想録「草臥山房通信」(20)を寄稿。 -
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自分の家族の生涯を赤裸々に綴った私小説『血族』を始めとして、1978年~1979年9月までに書かれた67作品収録。
収録作品は、エッセイ「人生仮免許」(朝日新聞ほか1978年1月15日)から、小説「昨日の今日」(「小説現代」1979年9月)まで、1978年~1979年9月までに発表された小説、エッセイ等67作品を初出掲載順に収録。
山口が初めて書きおろした長編小説『血族』は、美しく奔放で、好きなように生き、自らのことをほとんど語ることなく亡くなった母について、幼い頃に目にした光景、家に出入りしていた人たちの言葉、そして数々の資料をひもとき作者は自らの出自の謎に迫り、その過程を、母の思い出などを交えて綴った作品である。登場する人物は、直接関わりのない人々がイニシャルになっているのをのぞけば、親族はみな実名であり、“私小説”の傑作として、山口瞳を代表する作品として、第27回菊池寛賞を受賞した。
また、1978年1月15日(成人式)の朝日新聞はじめ全国紙に、山口は「人生仮免許」というエッセイを掲載した。これは、法的に飲酒が許される[新成人]に向けて、山口瞳が、酒の飲み方や礼儀作法を説くという、サントリーの新聞紙全5段の広告企画であった。4月1日の[新入社員に贈る]と共に、人気のある年中行事となって、以後、山口瞳が亡くなる1995年まで、17年間書き継がれることになるのである。
付録として、電子全集の総監修を務める、山口瞳の長男・山口正介が回想録「草臥山房通信」(19)を寄稿。 -
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ドスト氏との紀行文第3弾『迷惑旅行』、初の随筆集『旦那の意見』等、1976~1977年に書かれた作品102作品収録。
収録作品は、小説「輪の中」(「群像」1976年1月号)から、エッセイ「迷惑旅行9 知多半島、篠島、大夕焼」(小説新潮1977年12月号)まで、1974~1975年に発表された小説、エッセイ等102作品を初出掲載順に収録。
1976年7月、首相だった田中角栄が逮捕されたことを受けて、山口瞳は「中央公論」10月号に、「下駄と背広――私小説的田中角栄論」を寄稿した。この中で、「田中角栄の履歴は私の父とよく似ている」と、生涯和解することのなかった父親・山口正雄のことを、田中角栄と重ねて書いた、この「私小説的田中角栄論」は、後年、長篇小説『家族(ファミリー)』として結実する。山口瞳は、この「下駄と背広」を芯にして、最初の随筆集『旦那の意見』を刊行する。「文学寄り、文壇寄り、という、いわば、小説家の随筆集を出してもらうのは、これが初めてのことになる。」(同書あとがきより)
一方、“盟友”ドスト氏との紀行文『迷惑旅行』。このシリーズの最終回は、「父祖の地佐賀、塩田町久間冬野」(第19巻に収録)と題して、「五十一歳にして、はじめて訪れた父祖の地」である塩田町への訪問のことが書かれている。この時期、山口瞳は一族の秘密を暴かなくてはならないということに苦悩しながら、しかし、小説家としての本能に衝き動かされるように、書き下ろし長篇小説を準備するという「衝撃に向かって突き進んで」いくのだった。
付録として、電子全集の総監修を務める、山口瞳の長男・山口正介が回想録「草臥山房通信」(18)を寄稿。 -
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マナー本の名著『礼儀作法入門』、風景画を含めた紀行文『湖沼学入門』等1974~1975年に書かれた206作品収録。
収録作品は、小説「金曜日の夜1南京豆」(「週刊朝日」1974年1月4・11日号)から、エッセイ「湖沼学入門 9 林道霜雨」(「小説現代」1975年12月号)まで、1974~1975年に発表された小説、エッセイ等206作品を初出掲載順に収録。
山口瞳は流行作家としての多忙な日々の中、小学館から1974年6月に創刊されたばかりの、若者向けの総合雑誌男性雑誌「GORO」に、『礼儀作法入門』(連載時のタイトルは「礼儀作法」)の連載をはじめる。この連載は好評のため、1976年11月「続・礼儀作法 粋とは何か」(電子全集18回巻収録予定)まで、29回にわたって続くことになり、[マナー本]の名著として、山口の名を更に高めることとなる。
『月曜日の朝』とタイトルが対になった『金曜日の夜』は、東京郊外の街を舞台に風変わりな名前を付けられた人物たちの人間模様を描いた内容で、『月曜日の朝』、『考える人達』両作品の続編ともいえる作品。
また、この頃、山口は、風景画を描く心得を述べており、『湖沼学入門』(電子全集17回巻に第9話まで収録)と銘打った風景画を描きながらの紀行エッセイを「小説現代」で連載開始。湖や沼の岸辺でスケッチをしている老人のように、のんびりと風景画を描いてみるという趣旨で、その後の『迷惑旅行』、『新東京風景』等の画期的な紀行文学へ引き継がれていく。
付録として、電子全集の総監修を務める、山口瞳の長男・山口正介が回想録「草臥山房通信」(17)を寄稿。BR>
この作品の容量は、46.6MB(校正データ時の数値)です。 -
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通勤電車の中の出来事を描いた『月曜日の朝』、『考える人たち』等1972~1973年の小説、エッセイ等241作品収録。
収録作品は、エッセイ「ことしの将棋界展望」(「北海道新聞」夕刊1972年1月4日)から、小説「続血涙十番勝負9 振飛車日本一、大野源一八段」(小説現代1973月12月号)まで、1972~1973年に発表された小説、エッセイ等241作品を初出掲載順に収録。
国立を舞台とした『わが町』(電子全集13回巻収録)に続く作品が、1972年の『考える人たち』。『わが町』では「せんせい」と呼ばれる「わたし」は、『考える人たち』では、「偏軒」となり、また登場する人たちは、イースト、ドストエフスキー、風船はじめ、コーガン、マチモロ、アガクシ、ウルサザキ、モットモ、ケケネツ、K子、コーザイなど、不思議な名前を付けられている。
『月曜日の朝』は、1973年に「週刊朝日」に連載された作品。担当編集者から、毎週月曜日の朝、広告制作会社であるサン・アドに出勤する山口瞳が、「その電車のなかの出来事を書いたら」という提案に押し切られて、1年間の連載を引き受けざるを得なくなり、カメラマン・田沼武能の写真とのコラボレーションというユニークな企画となった。単行本化(1976年)に際し、3800円という高額な「手のかかる、金のかかる本」は、短文の名品と造本の美しさをもって、その価値を裏切ることがないものとなった。なお、今回、単行本に掲載された田沼の写真全作品も収録される。
付録として、電子全集の総監修を務める、山口瞳の長男・山口正介が回想録「草臥山房通信」(16)を寄稿。 -
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『人殺し』、『血涙十番勝負』、『けっぱり先生』等、1970~1971年に書かれた小説、エッセイ等87作品収録。
収録作品は、小説「小説将棋必勝法 八段二上達也」(「小説現代」1970月1月号)から、「どこ吹く風 19(完)長い道」(「小説新潮」1971年12月号)まで、1970~1971年に発表された小説、エッセイ等87作品を初出掲載順に収録。
1970年から1971年にかけての山口瞳は、「男性自身」シリーズの週刊誌連載のほかに、長篇小説『人殺し』の文芸誌連載と『けっぱり先生』の新聞連載、紀行エッセイの『なんじゃもんじゃ』、『血涙十番勝負』の連載、短篇小説『どこ吹く風』に連作連載のほか対談や座談会、さらに、年2回の「小説現代」新人賞の選考委員会という壮絶な流行作家の生活を送っている。
この時期の重要な作品の一つ『人殺し』は、安穏な生活を望む、中年の作家・井崎と、精神的な病を持つその妻・道子、そして、美貌ゆえに当たり前の女の生き方ができないホステス・瑛子という三人の主な登場人物を巡っての心理劇というような物語。1969年11~12月にかけての京都入院中に構想が練られ、「文學界」に15回にわたって掲載された山口瞳にとって、はじめての純文学誌での連載であった。
さらに、プロ棋士との対局の自戦記を小説として描いた異色のシリーズ『山口瞳血涙十番勝負』は、作家が書いた将棋本の最高峰ともいえる作品。第15回巻では第一番から第八番までの“名勝負”が収録されている。
付録として、電子全集の総監修を務める、山口瞳の長男・山口正介が回想録「草臥山房通信」(15)を寄稿。 -
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