イノベーションはなぜ途絶えたか ──科学立国日本の危機
山口栄一(著)
/ちくま新書
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かつて「科学立国」として世界を牽引した日本の科学とハイテク産業の凋落が著しい。経済の停滞にとどまらず、原発事故のような社会への大打撃を招きかねないイノベーションの喪失。その原因は企業の基礎研究軽視にとどまらず、政策的失敗にあったことをベンチャー支援策に成功した米国との比較から解明する。さらに科学の発見からイノベーションが誕生する原理を明らかにし、日本の科学復興に向けた具体的な処方箋を示す。科学と社会を有機的に結びつける“国家再生の設計図”。
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『イノベーションはなぜ途絶えたか』というタイトルで、電機メーカーの世界的地位の凋落やインターネットの世界で日本発のイノベーションがほとんど見られなかったことについての分析と今後に対する著者からの提言を…まとめたものである。著者は、東大で物理学の博士号を取得し、NTT基礎研究所に20年ほど勤務した後にフランスの研究機関を経て現在ではイノベーション研究を京都大学大学院総合生存学館(思修館)を創立してそこで教授として研究を行っている。
本書では、電機メーカーがイノベーションの波に上手く乗れなかった事例としてシャープを挙げた後、より一般的な考察として、日本の大企業中央研究所方式とその衰退と米国のSBIR (Small Business Innovation Research)との比較を行っている。そして、日本固有の現状課題の分析といくつかの提言を行っている。
シャープの事例分析は、著者が幹部社員から直接話を聞く関係を築いていたこともあり、非常に実感の伴う解説となっている。ここで使われた「山登りのワナ」というものは、まさにクリンステンセンのイノベーションのジレンマの理論に当てはまるものではないだろうか。ここで言われる通り、シャープの事例は日本全体の多くの産業にも当てはまるものであり、一企業の問題とするべきものではない。シャープの鴻海による買収は、著者もそうでように、日本企業にしていち早くイノベーション・モデルを手に入れることができることの期待の方が大きい。どうやら今年度いったん黒字化を達成するようであるが、その後の展開についても期待されるところもある。ここで成功モデルが確立した場合、今後想定される産業再編においてもオプションを増やすことができるようになるのではないだろうか。
繰り返しになるが、本書の主題は日本のイノベーション・成長が起きないことに関する課題と、それをどのようにして克服するのかということにある。その前段としてのシャープの事例解説であったが、一方で国家としての成功事例とみなすことのできる米国との政策比較を行っている。著者が高く評価するのがSBIR (Small Business Innovation Research)という仕組みである。米国でも80年代初頭までは、大企業の研究所が科学者がその身を寄せる場として当然のものと考えられていた。日本と同様にベル研究所を筆頭に中央研究所がうまくいかなくなったが、80年代から90年代で確立したSBIRという起業・イノベーション支援の仕組みが、シリコンバレーを中心にいくつものベンチャー企業とともに新規産業が立ち上がった理由であると分析している。一方の日本の中小企業支援の仕組みは、起業やイノベーションをエンカレッジするのではなく、既存企業を保護する方向で利用されたために、上手くいかなかったと分析する。そもそも日本の行政官側に「目利き力」が決定的になく、実績を元に資源配分を行っていたため、米国に遅れて実施した日本版SBIRでは採択企業が逆に2億円の売上減になっており、国費による補助金がイノベーションのサポートよりも衰退企業・事業の本来あるべきでない延命のために使われているのではないかと想定される。
日本の戦後社会を振り返って、リスクを避ける方向でシステムが作り上げられてきたことでイノベーションが抑制される社会になったという分析は極めて正しいと思われる。つまり終身雇用や年功序列に代表される「リスクに挑戦しなくても幸福に過ごせる社会」の実現が社会的目標となり、多くの人びともそれをよしとしてしまうことで、結果としてチャレンジの力を削いでしまった。その社会の姿勢が、少子高齢化による、より深刻な影響が迫る中で具体的な効果的な手が打たれない現在の状況に対する閉塞感を生み出している。
著者は、自ら分析に関わったJR福知山線や原発事故での対応がその課題をもっともよく映し出しているという。「FUKUSHIMAプロジェクト委員会」の委員長として民間での事故分析を行った立場として、福島原発事故における東電の対応には辛辣である。またその事故対応時の欠陥に、日本の産業界の「技術経営」の課題を見る。その克服のためには、理系人材が社会リテラシーを身に着けて、分野を越境し、回遊しながら課題を解決する発想が必要となっていると主張する。著者は、日本の現状を「沈みゆく船」と表現する。そこはまだ沈んではいないという期待と、そこから救い出すための処方箋を持っているという自負の表れでもあるのだ。
リスク回避的な行動が、日本という文化や国民性に根付くものであるとする文献や書籍も多いが、著者としてもそれをよしとするものではない。そもそも日本の文化と思われているものが、戦後という特定の社会情勢によって醸成されたものであったり、せいぜいのところ明治以降のものであるものも多いはずだ。ここに至っても何か大きく変えることができないということでもないだろう。少なくともイノベーションに関しては、日本はソニーもパナソニックもシャープも含めて多くの企業がベンチャーとして産まれて世界を席巻した。
「研究」と「開発」という目的のまったく異なる人間の知的営みを理解し、その上で双方の想いを共鳴させる「共鳴場」を作ることが必要であると主張する。共鳴の場に参加したメンバーが「知の創造」を「価値の創造」に変換させることが必要になる。その場を提供するのが、イギリスのカレッジを手本にした大学院構想である。著者は、イノベーションソムリエを養成する合宿型の大学院改革構想を掲げる。そのためにはプロフェッショナルな化学行政官制度が必要だといい、博士号を持たず、「創発」や「回遊」に伴うリスクに挑戦したこともない人間が関わるべきではないという。イノベーション・ソムリエの養成、つまり「スター発掘システム」の構築がまったなしである。
「1990年代後半に起きた中央研究所の終焉の後、新しいイノベーション・モデルを見つけられないまま、今に至っている。しかも産業競争力を下支えする科学分野が収縮しており、根源的に危機的状況にある」
1990年代前半に工学部電子工学科を卒業して、大手電機メーカーの中央研究所が非常に現実的に自身の就職先の候補であった身からすると、そのあたりの変化というのは非常によくわかる。
「このトランス・サイエンスの時代においては、学部卒や修士卒では、科学知を価値化する力がまったく足りないし、「知の創造」を経験したことのない人々が未来を構想することはできないからだ。この科学行政官システムは、国家のCSO (Chief Science Officer)となるであろう。そしてそれによって、民間企業がCSOを備えることも促されるだろう」
企業の中でスキルシフトするのは最悪のシナリオで、共鳴場ごとにスピンオフさせるべきであるという。
それは「文理共鳴型の新しい大学院」というものだ。学際などというのは、言われ出して久しいが、期待した通りの実効的な成果を上げてきたかというとずいぶんと怪しい。それは著者に言わせると行政官の能力がマッチしていないからであるというのかもしれない。
イノベーション・ソムリエの不足は、特に大企業といわれる企業の中でも深刻である。著者のいう方針でもよいが、とにかく何かに賭けてみるという姿勢が必要なのだろう。過去の研究や実践が裏にある、比較的骨太な本である。続きを読む投稿日:2017.05.07
イノベーションと盛んに叫ばれるが、日本から失われてしまった科学的な思考とそれを育てて発揮する場をどうにかせんことには、上っ面の見えてる技術をこね回したところで仕方ない。
・シャープの没落から見る登った…山から降りられない既存知識に頼った組織の弱さ
・米国SBIRの成功という科学見識の高い政府組織の価値
・福知山線脱線、原発事故に共通する物理限界の無理解
科学者と一般人、理系と文系などの境界を超えた交わりが重要であり、それを推進する人材を排出していかなきゃいけない。続きを読む投稿日:2023.07.24
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